2012年 05月 22日
戯れの二座掛け持ちや五月晴
■五月大歌舞伎・昼の部@平成中村座(5/13)
今月は染五郎、七之助が平成中村座と新橋演舞場を昼夜で掛け持ちするというので、どんな感じになるか体験するために、1日で両方見物してみた。
というのは後付けで、実際は単に希望の座席や休みの状況を勘案していたらこんなスケジュールになってしまったというだけの話。
ただ結果的には、劇場間の移動とか普段とは違う体験ができて面白かったといえば面白かった。
ロングラン最終月の中村座・昼の部は「十種香」、舞踊「弥生の花浅草祭」、「め組の喧嘩」とボリュームたっぷり。
「十種香」は初見だったが、これだけ見ると全体の話の途中で始まり、途中で終わってしまう感がした。
続く「狐火」も未見だが、続けて見ればもっと八重垣姫の有り様がはっきりするのだろう。
七之助の八重垣姫、勘九郎の腰元濡衣、扇雀の勝頼などの配役。
久々に勘九郎の女形を見たが、毎月の出演で声がかすれ気味だったのが気になった。
来月の「天日坊」まで無事保ってくれればいいが。
全体としては、なるほどこんな話だったのか、と思った程度。
続く四変化舞踊の「弥生の花浅草祭」は、「三社祭七百年記念」と冠された一幕。
2人の踊り手が上演時間45分の中で「神功皇后と武内宿禰」、「三社祭」、「通人・野暮大尽」、「石橋」と次々変わって行くのが見所なのだが、全体的に期待していたほど面白くは感じなかった。
てっきり舞台後方が御開帳する毎度の演出がここか「め組」かで出ると思ったのに、今回はなし(なんでも18~20日の三社祭の時は「め組」の後に特別に後ろが開いて神輿が舞台上に登場したらしい。羨ましい限り!)。
それを残念に思ってしまったのもあったし、勘九郎はまだキビキビ踊っていたが、染五郎が疲労感のあるキレのない踊りで、2人で火花を散らすような舞踊対決が見られると思っていただけにこれまた残念だった。
となると、必然的に最も楽しめたのは「め組」。
正月に見たばかりだったので「またか」という気もしなくもなかったが、上演の珍しい「喜三郎内の場」が出ていたり、勘三郎の初役とは思えない瑞々しい江戸っ子ぶりに、素直に楽しませてもらった。
初見の「喜三郎内」は、辰五郎が喧嘩の本心を明かす「辰五郎内」の前段にあたり、辰五郎と喜三郎の互いを思いやる様子が描かれるので、結果的に「辰五郎内」に深みを与える。
さらに、大詰で喧嘩を仲裁する喜三郎の人物造形にも深みを与えるので、今後も是非上演してほしいものだ。
大詰で実際に喧嘩を見せる件りになると、どうしてもダレてしまうが(相撲取りが肉襦袢である以上どうにも滑稽味が勝ってしまう)、そこに至る「辰五郎内」~「神明町鳶勢揃い」までは本当に興奮する。
特に大好きな場面、「辰五郎内」で亀右衛門(錦之助)が纏を担いで花道を引っ込んで行く場面は、花道横の席を取っておいて良かったと心底思った。
さらに「勢揃い」で、大人数の鳶たちが狭い中村座の舞台~花道を疾走する姿にも大興奮。
それから、確か勘九郎が纏を持って振りながら引っ込む件りがあったが、昼の部出ずっぱりの疲れを感じさせない颯爽とした姿にこちらまで気持ち良くなった。
そして、何と言っても勘三郎の辰五郎。
年齢的なものもあるが正月の菊五郎とはまたひと味違い、等身大の辰五郎が舞台にいるように思えた。
序幕で若手をたしなめる親分肌の格好良さもそうだし、「辰五郎内」で半纏を上に放り投げてそのまま着る仕草もそうだし、「喜三郎内」で見せるリアルな人間味もそうだし、どこをとっても江戸っ子の粋に満ちあふれていた(と、非-江戸っ子が知ったように言うのもなんだが)。
憧れとしての江戸っ子が、リアルにそこに存在していたように思う。
先にも書いたが、三社祭シーズンにはこの幕切れで神輿が入ってきたというから、劇場がどれほどの盛り上がりだったか。
舞台という生モノとの出会いも一期一会なんだな、と改めて思い知らされた気分だ。
■五月花形歌舞伎・夜の部「通し狂言 椿説弓張月」@新橋演舞場(5/13)
中村座の興奮冷めやらぬまま、慌てて無料バスに乗り込み、新橋演舞場へ移動。
三島由紀夫が自決する前に作・演出した最後の歌舞伎「椿説弓張月」の通しを見る。
今まで白鸚、幸四郎、猿之助が主演で3回上演されただけの、それこそまさに「珍品」。
しかも、猿之助の時はかなり手直しがされているらしく実質的には別物と考えられるので、三島が携わった初演を踏襲した形では3度目となる。
猿之助の時は3時間ちょっとに削られた上演時間も、今回は初演時の4時間超よりはわずかに短いだけの、上1時間、中1時間30分、下1時間20分の計3時間50分で、久々に長丁場の観劇となった。
この作品、筋書の記述をまとめれば、三島が「純歌舞伎手法」を用い「強い様式の精神」を復権させるために作り上げたものだという。
確かに、上の「時代物の竹本劇」、中の霊の登場や琴を使った責め場、さらに舞台機構を駆使した大海での大立ち回り、下の琉球での因縁話やもどり、エンディングの白馬に乗った昇天などなど、「強い様式の精神」は随所に感じられた。
要するに三島は、歌舞伎というものが持ちうる様々な要素を徹底的に洗い上げ、それを馬琴の「弓張月」という作品に仮託して自分なりに再構築しようと試みていたのではないだろうか。
その作業を懇切丁寧にやった結果、4時間弱という長丁場の作品ができあがった訳だが、ではこれが今現在の観劇状況において「面白い」といえるかどうか。
これはかなり賛否が分かれるだろう。
自身としては、三島がこの作品でやろうとした企みはとても面白く感じたが、それを実際舞台として見せられた時の面白さや興奮はそこまでではなかった。
それは、花形で上演してしまったが故に、三島がやろうとした企みのすべてをきっちり舞台として具現化できなかった、という理由がひとつあると思う。
猿之助のように三島版「弓張月」をスーパー歌舞伎的にアレンジするのもひとつの手ではあるが、そうではなく、三島の構想(妄想)した世界観をきっちり具現化できるだけの役者陣を揃えて上演していれば、三島の企みがダイレクトに舞台上に立ち現れていたのではないだろうか。
その意味では、せっかく二座掛け持ちまでした染五郎や七之助は労多くして功少なし、という状況だっただろうし、観客にとっても同様な状況だった気がしてならない。
三島の妄想のポテンシャルは、あの舞台で具現化されていた程度ではなかったはずだと、英雄史観的な見方も若干入っていることを自覚しつつも、思ってしまう。
単純に、三島にとっても、役者にとっても、観客にとっても、もったいない上演になってしまったように思う。
唯一、興奮(というと変な意味に聞こえるが)したのが、琴を使った責め場だ。
白縫姫(七之助)が奏でる琴に合わせて、裏切り者の武藤太(薪車)に腰元たちが竹釘を木槌で打ち込ませる件りなのだが、ふんどし一丁の筋骨隆々たる男を、女が責めて嬲り殺すという絵面は、そのまま「薔薇刑」の写真群を想起させ、これが「三島歌舞伎」であることの所以を体現しているようで嬉しくなった。

というのは後付けで、実際は単に希望の座席や休みの状況を勘案していたらこんなスケジュールになってしまったというだけの話。
ただ結果的には、劇場間の移動とか普段とは違う体験ができて面白かったといえば面白かった。
ロングラン最終月の中村座・昼の部は「十種香」、舞踊「弥生の花浅草祭」、「め組の喧嘩」とボリュームたっぷり。
「十種香」は初見だったが、これだけ見ると全体の話の途中で始まり、途中で終わってしまう感がした。
続く「狐火」も未見だが、続けて見ればもっと八重垣姫の有り様がはっきりするのだろう。
七之助の八重垣姫、勘九郎の腰元濡衣、扇雀の勝頼などの配役。
久々に勘九郎の女形を見たが、毎月の出演で声がかすれ気味だったのが気になった。
来月の「天日坊」まで無事保ってくれればいいが。
全体としては、なるほどこんな話だったのか、と思った程度。
続く四変化舞踊の「弥生の花浅草祭」は、「三社祭七百年記念」と冠された一幕。
2人の踊り手が上演時間45分の中で「神功皇后と武内宿禰」、「三社祭」、「通人・野暮大尽」、「石橋」と次々変わって行くのが見所なのだが、全体的に期待していたほど面白くは感じなかった。
てっきり舞台後方が御開帳する毎度の演出がここか「め組」かで出ると思ったのに、今回はなし(なんでも18~20日の三社祭の時は「め組」の後に特別に後ろが開いて神輿が舞台上に登場したらしい。羨ましい限り!)。
それを残念に思ってしまったのもあったし、勘九郎はまだキビキビ踊っていたが、染五郎が疲労感のあるキレのない踊りで、2人で火花を散らすような舞踊対決が見られると思っていただけにこれまた残念だった。
となると、必然的に最も楽しめたのは「め組」。
正月に見たばかりだったので「またか」という気もしなくもなかったが、上演の珍しい「喜三郎内の場」が出ていたり、勘三郎の初役とは思えない瑞々しい江戸っ子ぶりに、素直に楽しませてもらった。
初見の「喜三郎内」は、辰五郎が喧嘩の本心を明かす「辰五郎内」の前段にあたり、辰五郎と喜三郎の互いを思いやる様子が描かれるので、結果的に「辰五郎内」に深みを与える。
さらに、大詰で喧嘩を仲裁する喜三郎の人物造形にも深みを与えるので、今後も是非上演してほしいものだ。
大詰で実際に喧嘩を見せる件りになると、どうしてもダレてしまうが(相撲取りが肉襦袢である以上どうにも滑稽味が勝ってしまう)、そこに至る「辰五郎内」~「神明町鳶勢揃い」までは本当に興奮する。
特に大好きな場面、「辰五郎内」で亀右衛門(錦之助)が纏を担いで花道を引っ込んで行く場面は、花道横の席を取っておいて良かったと心底思った。
さらに「勢揃い」で、大人数の鳶たちが狭い中村座の舞台~花道を疾走する姿にも大興奮。
それから、確か勘九郎が纏を持って振りながら引っ込む件りがあったが、昼の部出ずっぱりの疲れを感じさせない颯爽とした姿にこちらまで気持ち良くなった。
そして、何と言っても勘三郎の辰五郎。
年齢的なものもあるが正月の菊五郎とはまたひと味違い、等身大の辰五郎が舞台にいるように思えた。
序幕で若手をたしなめる親分肌の格好良さもそうだし、「辰五郎内」で半纏を上に放り投げてそのまま着る仕草もそうだし、「喜三郎内」で見せるリアルな人間味もそうだし、どこをとっても江戸っ子の粋に満ちあふれていた(と、非-江戸っ子が知ったように言うのもなんだが)。
憧れとしての江戸っ子が、リアルにそこに存在していたように思う。
先にも書いたが、三社祭シーズンにはこの幕切れで神輿が入ってきたというから、劇場がどれほどの盛り上がりだったか。
舞台という生モノとの出会いも一期一会なんだな、と改めて思い知らされた気分だ。
■五月花形歌舞伎・夜の部「通し狂言 椿説弓張月」@新橋演舞場(5/13)

三島由紀夫が自決する前に作・演出した最後の歌舞伎「椿説弓張月」の通しを見る。
今まで白鸚、幸四郎、猿之助が主演で3回上演されただけの、それこそまさに「珍品」。
しかも、猿之助の時はかなり手直しがされているらしく実質的には別物と考えられるので、三島が携わった初演を踏襲した形では3度目となる。
猿之助の時は3時間ちょっとに削られた上演時間も、今回は初演時の4時間超よりはわずかに短いだけの、上1時間、中1時間30分、下1時間20分の計3時間50分で、久々に長丁場の観劇となった。
この作品、筋書の記述をまとめれば、三島が「純歌舞伎手法」を用い「強い様式の精神」を復権させるために作り上げたものだという。
確かに、上の「時代物の竹本劇」、中の霊の登場や琴を使った責め場、さらに舞台機構を駆使した大海での大立ち回り、下の琉球での因縁話やもどり、エンディングの白馬に乗った昇天などなど、「強い様式の精神」は随所に感じられた。
要するに三島は、歌舞伎というものが持ちうる様々な要素を徹底的に洗い上げ、それを馬琴の「弓張月」という作品に仮託して自分なりに再構築しようと試みていたのではないだろうか。
その作業を懇切丁寧にやった結果、4時間弱という長丁場の作品ができあがった訳だが、ではこれが今現在の観劇状況において「面白い」といえるかどうか。
これはかなり賛否が分かれるだろう。
自身としては、三島がこの作品でやろうとした企みはとても面白く感じたが、それを実際舞台として見せられた時の面白さや興奮はそこまでではなかった。
それは、花形で上演してしまったが故に、三島がやろうとした企みのすべてをきっちり舞台として具現化できなかった、という理由がひとつあると思う。
猿之助のように三島版「弓張月」をスーパー歌舞伎的にアレンジするのもひとつの手ではあるが、そうではなく、三島の構想(妄想)した世界観をきっちり具現化できるだけの役者陣を揃えて上演していれば、三島の企みがダイレクトに舞台上に立ち現れていたのではないだろうか。
その意味では、せっかく二座掛け持ちまでした染五郎や七之助は労多くして功少なし、という状況だっただろうし、観客にとっても同様な状況だった気がしてならない。
三島の妄想のポテンシャルは、あの舞台で具現化されていた程度ではなかったはずだと、英雄史観的な見方も若干入っていることを自覚しつつも、思ってしまう。
単純に、三島にとっても、役者にとっても、観客にとっても、もったいない上演になってしまったように思う。
唯一、興奮(というと変な意味に聞こえるが)したのが、琴を使った責め場だ。
白縫姫(七之助)が奏でる琴に合わせて、裏切り者の武藤太(薪車)に腰元たちが竹釘を木槌で打ち込ませる件りなのだが、ふんどし一丁の筋骨隆々たる男を、女が責めて嬲り殺すという絵面は、そのまま「薔薇刑」の写真群を想起させ、これが「三島歌舞伎」であることの所以を体現しているようで嬉しくなった。

# by ukiyobiyori | 2012-05-22 00:40 | 歌舞伎 | Comments(0)




















