IE9ピン留め

1月の同素体

<1日>
年明け一発目企画は、でんぐり返し、セルフタイマー写真に続き、じゃんけんに決定。
母、妹夫婦、下の妹、自身でじゃんけんし、少ない手を出した人に多い手を出した人が100円あげるという運試しも兼ねていたが、結局負けてしまった。
なんという幸先の悪さ。
年越しそばを食し、平年より早めに就寝。
今回の帰省は4か月になる甥っ子も居たり何やらでわりかし忙しく、結果的にいつものぐーたらはなく比較的規則正しい毎日を送ることになった。
とかいいつつ、結局また昼前に起き出し、寝起きでいきなり飛騨牛のステーキをいただく。
これが当たり前にうんまいったら。
夜は家でご飯を食った後、母方の実家へ押しかけ、種々五月蠅く過ごす。

<2日>
午後、恒例のぐだぐだな地元の集まり。
うちで残念な友人たちと種々語り初め。
特に語ることなんざないんだが。
こんな会を催すから一年の出鼻を挫かれるんだ、という意味から「木偶の会」(「で」ばなを「く」じくの省略でもあり、文字通り木偶共の集まりという意味でもある)と勝手に命名。
来年こそはやらないことを誓って散会。
夜は、叔母夫婦といとことともにすき焼きを、これまた死ぬほどいただく。
母親が同窓会で不在だったので、あくせく動いて準備やら何やらをする。
この辺になってくると、もう胃腸が悲鳴を上げまくり。
拷問的な幸せ。

<3日>
昼前に起き出し、昼ご飯を食って早々に出立する妹夫婦と、途中の神社でお参り。
その足で家に戻った頃には、自身も出立しないといけない時間。
急いで身支度し、名残を惜しんで帰京。
食い過ぎ疲れのせいか、全編寝通しで帰ってきた。
戻ってきたSNGWにて、いつものパイセン・後輩と今年の飲み初め。
パブ的な店にて、ホット淫猥とともに種々いただく。
胃腸に配慮し、軽めに。
ああ、今年もこんな感じで過ぎていくんだろうなあ、と予感させる時間を過ごした。

<4日>
仕事始め。

<5日>
演舞場にて初芝居。
昼夜の間はサブウェイにてヘルシーめに。
夜までばっちり見終え、良い芝居初めができたと一人ほくそ笑む。

<7日>
寝不足のまま、早朝から夕刻まで仕事。

<8日>
歌舞伎が見たいという会社の後輩を連れて、浅草歌舞伎へ。
「八犬伝」、「廓文章」と比較的手軽な演目が並び、こちらも楽しく見る。
幕間には人形焼きを食ったり、偉そうに蘊蓄を述べてみたり。
終演後の腹ごしらえは、仲見世通りからちょっと入ったレトロな蕎麦屋。
けんちんそばをいただき、暖まる。
もみくちゃになりながら浅草寺にお参りし、去年に続きお守りを買い、おみくじを引いたらばまさかの凶!(いや、案の定というべきか)
今年は何をするにもダメらしい。
大人しく、慎ましやかに過ごそうとここに記して誓う。
一波乱あったところで、これまた裏路地の店でしるこを食い、同期とも合流して新年会。
入った店のカレー鍋がクソ不味くて、大後悔時代。
同期と別の店で飲み直し、ぼんやりした方向性を確認し、散会。
こんな気の利く後輩なかなかいないなあ、と感心しきりの一日。

<9日>
午前中にさらっと仕事を片付け、午後から友人と松井冬子展@浜美へ。
その前に崎陽軒の焼売ランチをいただく。
松井冬子の方は比較的若い層の来場者が多く、しかもみんな真剣に、鬼気迫る風に見ているもんだから容易に喋ることもままならず。
しやなく小一時間だまり通しで見た。
作品もさることながら、天賦の美貌を兼ね備えた松井冬子だが、個人的にはあの饒舌すぎるタイトルとか解説は不要に思えた。
ああした言葉を駆使しなくても、雄弁に語る作品と見るに堪える作者が居るだけで既に十分な気がする。
日本画といえども広義の現代美術に属するとするならば、作品のプレゼンを作者自らしなければならないことは当然だが、松井冬子の場合は、作者による雄弁な解説が本人のいう「痛さ」ではなく、ネット用語の「イタさ」に通じる部分があるように見えてしまう。
個人的にはタイトルも「○○図」のようなシンプルなものにし、本人もインタビューでぽつぽつしか語らない、というスタンスにした方が、ミステリアス度が増して面白いのにと思った。
常設展の方は、最後の最後にあった写真コーナーの石川真生(だけ)が面白かった。
沖縄の米軍基地や日の丸など政治的な意味合いの強い内容を扱いながら、高踏的な態度を一切とらず、むしろ個人をフォーカスした泥臭い写真ばかりで自然と愛着が湧いた。
ばちっと見終え、さらにお久しブリーフな友人も合流し、またしても閉まっていた魚屋の隣のバル風の店で飲食。
ミニダッチオーブンみたいなので焼かれた野菜や豚肉が大変美味しく、昨日のカレー鍋の件りも思い出され、外食するならこういうとこがいいよなと痛感。
既に帰るべき家庭のある2人の話を聞きながら、なんだかなあと、若干やるせない気持ちになり、とぼとぼと帰宅。

<12日>
夕から仕事関係の飲み会。
種々飲まされ、疲れ果てる。
2次会のスナック様の店にて「let go」を歌うも、微妙。
がっくし。

<14日>
午前、立花。
その足で先生・生徒を交えて昼食会。
先生オススメの店で、魚の丼定食とイチゴパフェをいただく。
自身以外は皆いわゆるおばさまばかりなのだが、とても居心地良く感じてしまうのは何故。
おじさんではなく、おばさん側にシフトしていっているのやもしれない。
楽しく談笑し、散会。
その足で仕事をひとつ片付ける。

<15日>
国立劇場にて歌舞伎見物。
今月は東京だけで5か所も公演が行われていたが、さすがに予算的にすべては無理で、3か所目の国立で打ち止め。
終演後はワタリウム美術館で重森三玲展を見るも、あまり面白くなく。
やはり実物を見ねば、と痛感。
グッズやら書籍やらを物色し、SBY駅までとっぷりと暮れた街をポンサ。
田舎と都会の決定的な違いは人工的な欲望の刺激があるかないか、ということだと確信。
カツ丼を食し、帰宅。

<16日>
仕事仲間で飛騨牛を食す会を開催。
大晦日にもらった本気の飛騨牛を目の前のホットプレートで焼き、絶妙の頃合いでプレミア焼酎とともにいただく、という贅沢。
美味しいものを食べると無条件に幸せになれるんだということを体現してやった。
ぐだぐだと深更まで。

<17日>
夕に仕事を切り上げ、シャリーノ@オペラシティを見に。
開演前にロッテリアにて某バーガーを食す。
いかにもビジネスマンな2人組がPCを操作しながらケータイで電話している様子を見て、自身は一体何をやっているのだろうか、という自省を一瞬だけした。
コンサートの方はドアホな客が一人居て激しく憤ったが、良いネタを拾った気分にもなり複雑。
最新のCDを買って帰宅。

<21日>
午前、立花。
午後、FNBSにて花展見物。
スイセン一式が出てたが、正直あまり上手くないように見えた。
小一時間見て回り、招待券をくれた知人と茶。
夜からはTOKIO駅近くの某とかいう中華料理屋で、自身の誕生祝い会を半強制的に開催させる。
コース料理をいただきながら、青島麦酒、ホットの紹興酒などいただく。
料理がどれも美味しく、ある程度のお金を出せばこんなに美味しいものを食べられるんだと再認識。
皆から種々愛のこもったプレゼントや名前入りのスイーツをもらい、涙がイグアス。
最後にお店からも記念写真のサービスがあって至れり尽くせり。
関係者の皆様に多謝。

<22日>
自身でもドン引きなのだが、朝、泣きながら目覚める。
徐々に覚醒してくると無性に悲しい気分になって、嗚咽が止まらない。
誕生日プレゼントとして誰かが悪意を持って不安定な情緒を送り届けたとしか思えない。
やむなく、昼過ぎまで無駄に寝て過ごす。
夜にこれまた飲み会があり、大人数でもつ鍋を食したり。
朝からのモヤモヤが時折顔をもたげ、面倒臭いったら。
低調な一日。

<23日>
夜、仕事関係の飲み会。
飲酒前に飲んでおいたウコンが徒となり、盛大に酩酊。
何とか帰宅はできたものの、久々に惨憺たる有様。
うんざり。

<24日>
またしても夜、仕事関係の飲み会。
うんざり。

<27日>
夜、会社のパイセンらと、そのパイセンが知り合いのバンドを見に某とかいうライブハウスへ。
女2、男1のスリーピースでそこそこ面白く聴く。
その次のバンドが方向性ブレまくりで全力でダメ出し。
終演後、数人で飲み直し、音楽について語り合ってたら、後輩がマリスとか好きらしくてまさかの意気投合。
懐かしさに浸りながら帰宅。

<28日>
午前、立花。
午後、Perfume@SSA。
既述の通りばちっと見終え、一緒に行った後輩とその友人らと打ち上げ。
エンポーリオのせいで終電が迫っていたので、言いたいことをばばばば言い募り、終電でそそくさと帰宅。
帰途、この多幸感を早く言葉にしたくて、延々ケータイで感想を書きまくる。
最寄り駅に着くと同時に書き終わるこの完璧さ。
満々たる幸福感に包まれて就寝。

<29日>
したものの、あまりに幸福すぎて盛大に寝坊する。
午後から下谷万年町物語@コクーンを見るはずが、開演90分前に起床。
電車でもバスでも間に合わないことが確定し、一瞬諦めかけるが、人を誘っていた手前もあり気を取り直し、考え出した結論が車。
ルート検索と身支度を20分で済ませ、高速を飛ばした結果、開演15分前に劇場着。
素晴らしい!!!
既に一波乱あった後に舞台を見始めたので良い具合に興奮状態が続き、休憩入れて3時間半の長丁場も一睡もすることなく、集中力も途切れることなく見られた。
濃密な舞台だったこともあり大満足。
終演後、近くのお好み焼き屋でソースがちょっと甘めでまいうーなモダン焼きなどを食し、某とかいうシャレオツな本屋を物色し、散会。
帰途、海上のバースタにて茶をしばき、帰宅。

<31日>
しぶとい1月の終わり。

# by ukiyobiyori | 2012-02-01 01:29 | 日々片々 | Comments(0)

華日記 2012.1

<1/14>
先月に引き続きスイセン一式で、今回は直真。
生徒が多い日だったので、ほとんど一人で活けた。
お手本のイラストと先月やった分の復習資料を参考に何とか形にはなったが、まだまだ細かいところではミスが多いと思う。
やればやるほど奥が深い。

■習作(スイセン、キク)


<1/21>
今回は除真の、しかも役枝がいくつか省略されたパターン。
真の一番長い1枚と、見越を兼ねた正真の1枚と、請の奥2枚が縦に伸びるラインを形作り、横へ大きく張り出す左流枝と対照的になる構図。
役枝がびしっと決まったものより空間の使い方が難しく、苦戦する。
先生の手直しもずいぶんあり、何とか形になった。

■習作(スイセン、キク)


<1/28>
今回はオーソドックスな除真。
前回と違い、基本の役枝が基本通り入っている形。
請と控は最初に葉を2枚入れ、その後に4枚+花1本を入れると、最後にあしらいを入れなくても空間が十分埋まるとのこと(流枝も葉2枚と、葉3枚で同様に)。
今回は前置にセンリョウを使ったが、他にもフキノトウの花が咲いたものなども使えるそうだ。

■習作(スイセン、センリョウ)

# by ukiyobiyori | 2012-01-30 01:49 | | Comments(0)

Perfumeが可愛すぎてなんならはじけて消えてもいいよそこそこ本気でSEVENTH HEAVEN(やってないけど。)

■Perfume 3rd Tour「JPN」@さいたまスーパーアリーナ(1/28)
東京ドーム以来、1年ちょっとぶりにPerfumeのライブに行ってきた。
Perfumeとはかれこれ4年近い付き合いになるが(一方的な)、すったもんだあった挙句(一方的に)、不思議なことに今に至って興味を持ち始めた当初を上回るほどの純粋な気持ちで向き合えている(一方的に)。
アルバム『JPN』も一瞬つまらんと思ったものの、聴き込むほどに三者三様の魅力が伝わってきて今はすっかりハマっている状態。
そんなベストコンディションで臨んだライブの模様を全力ネタバレでメモ。
さいたまスーパーアリーナは初。
ドームの時は着席が開演ギリギリで冒頭を見逃すところだったので、今回はかなり早めに来場。
小一時間余ったので、会場を散策したり機材を見物したりケンタで腹ごしらえしたり。
チケットを手配してくれた後輩らと合流し、心地良くもあり居心地悪くもある緊張感に浸りながら開演を待つ。
席はまさかのPerfume見物史上最高の、サブステージ上手後ろ直近!
チケットの額面で良さげな席であることは予想はしていたが、それを上回る最良席だった。
いよいよ開演。
セトリはこんな具合↓
01. The Opening
02. レーザービーム (Album-mix)
03. VOICE
04. エレクトロ・ワールド
05. ワンルーム・ディスコ
06. Have a Stroll
07. 時の針
08. 微かなカオリ
09. スパイス
10. GLITTER (Album-mix)
11. メドレー(シークレットシークレット~不自然なガール~Take me Take me~Baby cruising Love~575~love the world~I still love U~シークレットシークレット)
12. ポリリズム
13. FAKE IT
14. ねぇ
15. ジェニーはご機嫌ななめ
16. チョコレイト・ディスコ
17. MY COLOR

En1. Dream Fighter
En2. Puppy love
En3. 心のスポーツ
「オープニング」に合わせて三角形に組まれた蛍光灯?みたいなのが蛇みたいに伸びたりして、そこにババンと3人登場。
1曲目何来るかなーとソワソワしてたらアルバム通り「レーザービーム」のミックス版。
文字通りレーザービームばっしばしに出てて既に大興奮。
ステージそっちのけでレーザーの行先を追いまくってた。
続けて「VOICE」、「エレワー」、「ワンコ」。
「エレワー」来た時の高まりっぷりったら!
「ワンコ」では赤、青、白のテーマカラーの照明が使われてたりして小憎らしい。
お決まりの挨拶からのMC。
のっちがいい感じにキレつつ客を煽り、しかも肝心なとこで噛むという芸当をさらっとやってのけてて、成長したなあと感慨ひとしお。
ゆかちゃん戻ってきて、のっちのキレ煽りを超可愛くやり直し。
恒例の客いじりで3人が眼前まで迫ってきた時には、これがライブであるにもかかわらず、あまりに鮮明に見えすぎるがためにまるでフルハイビジョンの映像を見ているような錯覚に陥った。
この辺で樫野さんと目が合って手を振り合った、と思いたい。
「ハバスト」、「時の針」、「カオリ」、「スパイス」とセンターステージで。
「ハバスト」はランチ食べるとか歌詞に沿った具体的な動きも入っていて可愛らしい。
「時の針」はオルゴールの人形みたいなカッキカキな動き。
こんなこと書いていいかわからんが、位置的にちゃんあ~の見せパンがチラチラ見えて動揺を隠しきれない。
変態丈のゆかちゃんならまだしも、ちゃんあ~のそういうのとかホントけしからん。
ばっちり見てたが。
「スパイス」は3人のフォーメーションの妙をほぼ真横から見られて逆に貴重な体験。
あんなに激しく入れ替わり立ち替わりしてたのかと改めて感心した。
ここで着替えタイム。
ヤスタカのバッキバキ、でもいつもよりは渋めな雰囲気の曲に合わせて、図形が動いて三角形のスクリーンに。
そこに下見済みの巨大プロジェクターからゴッリゴリの映像が打ち出されて、映像から抜け出した風に3人登場。
プロジェクションマッピング風な要素もあり、映像のボールを打ち返したり、3人が戦ったり。
毎回思うが、複数回ライブを見てるとこのアトラクション的なパートへの期待が必然的に高まる。
今回はハイパーメディアアート感が特に強調されてて面白く見た。
そこから「GLITTER」アルバムミックス。
サブステージの床からギャンギャンに出るレーザーが振りとシンクロしてたりして、むむむやりおる。
ここで怒濤のメドレーへ。
「テイクミー」とか「bcl」とかめっちゃ懐かしい!
名曲を惜しげもなく一気に聴けて贅沢極まりなし。
この後のMCで久々(恒例?)の西脇劇場開幕。
震災やらなんやらの気持ちを話しているうちに、たぶん本人も落としどころが分からなくなり、2人も、スタッフも、客席も冷や冷や。
しかもその後、同じ日にちゃあぽんが9nineとしてライブしてる件りを話してたら、母親の有り難みとか再認識しちゃってそこでウルウルというまさかの展開。
前だったらあまり好ましく思わなかったが、今はそういう不完全なとこも含めてちゃんあ~だなと思えるようになった気がする。
あのぐだりんちょも含めて愛おしい。
テッパンの「ポリ」あり、PTAで知らない振りがやたら増えたなと思ったら新曲の振りだった、のが分かったのはその曲をやってからだが。
髪わっさわさに振り乱す「フェイク」あり、これまた横アングルが見ものだった「ねぇ」あり、ドームに続きリフト使いの「ジェニー」。
角度的にマズいなとは思っていたが、目前のリフトがなんと樫野様!!!
変態丈どころの騒ぎじゃないキューティーハニーファンタスティックな臀部を見せつけられ、この瞬間、世界で一番の眼福であることを確信。
コールもそっちのけで、半狂乱になりながら周囲に危機的状況を伝えるのに必死だった。
最強「チョコディス」の後、〆はここに来たかの「マイカラー」。
ちゃんあ~が客に手のひらを挙げさせるのに合わせて曲どん。
これはこれで良く考えられた〆だと感心。
アンコールはまさかの客席後方からの登場。
「JPN」と書かれたミニステージがあったので何に使うかと思ったらアンコールだったのかと。
メインステージから一番遠い対面の客を前にMCあり、「ドリファイ」。
今まで近すぎたので若干置いていかれた感を感じてしまう、人間とは貪欲な生き物。
サブステージに戻るのも楽しもうと、ビーチフラッグ風に客席の間を走って一番を決めようと。
じゃんけんでのっち、かしゆかが下手、ちゃんあ~が上手を走ることになったが、2人が客とハイタッチしながらちんたら進むのを横目にちゃんあ~まさかの全力疾走。
位置的にほぼ真正面から見えたが、ピンヒール履いてるとは思えないアスリート並の疾走に惚れ惚れした。
サブでこれまたテッパンの「パピラ」。
目前を3人が入れ替わり移動してくれて、もう愛おしくて愛おしくて堪らない。
大トリは「心スポ」。
PTAの振りがここでようやく活きる。
♪運動不足なの、のところでブーイングのポーズをするんだが、この時の樫野さんの膨れっ面→なんちゃってテヘ☆な笑顔の流れが犯罪的。
厳罰に処してくださいこの私を、な気分。
最後は礼儀正しいお辞儀と挨拶で〆。
スクリーンで5月に武道館4デイズと沖縄野外公演が行われることが発表され、会場もうひと盛り上がり。
せめて武道館の1日くらいは行ければなと。
全体的に、『JPN』のアルバムに象徴されるように、かつてのバッキバキ路線は若干なりをひそめ、可愛い系の構成になっていたように思う。
それが、大学を卒業して単なるアイドル的な可愛さから女性的な魅力を備えるようになった3人によって演じられるものだから、匂い立つような旬の雰囲気、時分の花であることを見せつけられているように感じられた。
3人が3人ともどんどん魅力的になっていて正直おっどろいた。
あの空間を共有できたことの感動と絶望に打ちひしがれながら、これをひとまずレビューとしたい。

# by ukiyobiyori | 2012-01-29 02:10 | 音楽 | Comments(0)

初春歌舞伎二つ

■新春浅草歌舞伎・第1部@浅草公会堂(1/8)
新年気分もすっかり抜けきるまで放置してしまったが、二つの初春歌舞伎の感想を簡単にメモ。
今年の浅草は平成中村座もあったが、そちらはパスし、公会堂の1部のみ。
格安の3階で通しで見ようと思っていたが、歌舞伎初見の知人に請われ共に見に行くことになったので、1階花道近くで臨場感を味わってもらうことにした。
1部は「南総里見八犬伝(富山山中~大塚村庄屋蟇六内~円塚山)」と「廓文章」の2つ。
「八犬伝」は伏姫から八犬士が生まれる件りの「富山山中」をさらっとやり、なんやかんやある「蟇六内」があって、八犬士が全員揃う「円塚山」で締めて90分という、かなりのショートカットバージョン。
亀治郎が蟇六と道節の二役、愛之助が現八で最後に美味しく登場していたくらいで、円塚山のだんまりはほとんどが歌昇、種太郎、巳之助らさらに下の若手が勤めていて世代交代をしみじみと感じた。
今の中堅どころもこういう時期を経て上達していったのだと思うと、これからの彼らの成長を見るのが楽しみになってきた。
蟇六内では、亀治郎の蟇六と竹三郎の女房亀篠のやりとりが絶妙すぎて笑いが絶えない。
両者ともやり過ぎるギリギリセーフのところを十分心得ていて、観客心を自在に手玉に取っていた。
最後、だんまりからの道節の引っ込みは流石の迫力。
EXILEあり、酒樽を使っての龍神舞あり、正月に相応しいご馳走もふんだんで、全体の中身の薄さはまあ脇に置いておこうかという楽しさに溢れていた。
「廓文章」は、愛之助が初役の伊左衛門、壱太郎の夕霧、竹三郎の喜左衛門、春猿のおきさ。
さよなら公演の時の仁左衛門を見逃していたので初見だったが、仁左衛門が目に浮かぶようにそっくりだった。
話としては、勘当されて紙の服を着るほど落ちぶれた男が、昔なじみの女のところに行き、すったもんだあって最後には勘当が解かれ身請けもできるというだけ。
それが義太夫と常磐津の掛け合いのある、途中舞踊風な場面も挟まれることで、どうでもいい話が一気に舞台に仕上がるから面白い。
愛之助の伊左衛門は茶目っ気というか稚気のある放蕩息子っぷりを好演していたが、壱太郎の夕霧は発声がもう一つだったような。
驚いたのは太鼓持ちの上村吉太朗(我當の部屋子らしい)が、小学生とは思えない達者さだったこと。
セットも華やかで正月気分を味わうにはうってつけの一幕だった。
浅草恒例のお年玉挨拶は、隼人(錦之助の長男)が担当。
まだ高校3年生だということや、「梵」のヒレカツサンドがイチオシだから買って帰って下さいというような話をしていた。
こういう初々しさを見られるのも浅草ならでは。


■初春歌舞伎公演@国立劇場(1/15)
45周年企画の1月は黙阿弥を特集し、「三人吉三」の通しと絶筆となった「奴凧廓春風」の2つを上演。
「三人吉三」の通しはコクーン版が見れず終いで、いつかの花形@演舞場で見て以来2度目。
今回は幸四郎の和尚、染五郎のお坊、福助のお嬢ほかの配役。
実年齢でいえば3人ともかなりの隔たりがあるのに、役としてみるとお嬢とお坊が同じくらい、和尚がそのちょっと上というような雰囲気がよく出ていて引き込まれた。
特に吉祥院~火の見櫓に至る、3人の破滅へ向かう様子がとてもリアルに描き出されているように見えた。
中でもお嬢とお坊の、吉祥院で2人で死を決意して遺書を残そうとする件りや、両花道を使って火の見櫓のところまで来るも閉められた木戸越しにしか会えない件りは見ていて本当に切なくなるくらい。
今回見ながらずっとこの「三人吉三」を現代社会に置き換えたらどうなるかを考えていたが、それも相俟って3人の若者のアウトローにしか生きられない有り様をより立体的に想像できたのかもしれない。
3人以外の夜鷹をやっているおとせ、そこで店の大金を落としてしまう十三郎(実は2人は双子!ニーベルングか!)、彼らと和尚の父でもある伝吉(夜鷹の元締め)なんかも、本人が望む望まないは別として結果的にアウトローな立場にある。
そうした人物設定をし、しかも彼らを使ってこんな話を書いてしまう黙阿弥は悪魔的に優れた劇作者なんじゃないかと思う。
後味は決して良い芝居ではないにも関わらず、最後の場面で降り続く雪が3人の悲劇を少しでも浄化してくれているように見えて救われた。
「奴凧」は染五郎が曽我十郎、奴凧、猟人富士の仁太郎の3役を勤めた華やかな舞踊。
奴凧の件りでは、宙乗りで舞台を横に移動しながら踊る趣向も。
途中ほとんど宙吊りになったまま踊っていたのはあまり面白くなかったが(もっと上下左右に動かせば良かったのに)、背景が動いて本当に空を飛んでいるように見える件りはわくわくした。
幸四郎と金太郎もおまけで共演。
最後は大猪を仁太郎が退治する件りがあり、富士山から朝日が昇ってお目出度い雰囲気(渡辺保が「朝日を吊るのではなく、山が下がって朝日が見えるのは『日本沈没』みたいで縁起が悪い」と書いていたが、なるほどそういう見方もあるのかと納得)。
歌舞伎ならではの、幕切れで舞台と客電が明るくなり、上下の提灯にも明かりが入る独特の照明効果は本当に素晴らしいと思う。
何度経験しても「見終わったぞ!」感がとても心地良い。

# by ukiyobiyori | 2012-01-26 20:34 | 歌舞伎 | Comments(0)

サルヴァトーレ・シャリーノの音楽

■コンポージアム2011「サルヴァトーレ・シャリーノの音楽」@東京オペラシティコンサートホール(1/17)
西村朗、スティーヴ・ライヒに続き3度目のコンポージアム。
本来は昨年5月に演奏会が行われるはずだったが、震災の影響で年をまたいでの開催となった。
随分待たされたようでもあり、意外にあっという間だったようでもあり。
シャリーノのことはまったく知らなかったが、この日最後に演奏された「海の音調への練習曲」という曲が、なんと各100本のサックスとフルートを使うらしく、果たしてどんな音響に、ヴィジュアルになるのか興味深く思い足を運んできた。
演奏されたのは、「オーケストラのための《子守歌》」(1967)、「フルートとオーケストラのための《声による夜の書》」(2009)、「電話の考古学―13楽器のためのコンチェルタンテ」(2005)、「海の音調への練習曲―カウンターテナー、フルート四重奏、サクソフォン四重奏、パーカッション、100本のフルート、100本のサクソフォンによる」(2000)の4曲。
いかんせん音楽的素養がないため以下すべて抽象的な物言いになるが、ひとまず感想を簡単にメモ。
「子守歌」は、パンフレットによれば「70以上のソロ楽器が4つの異なるグループに分かれ、それぞれが休止符によって区切られた4つの節を演奏する」らしい。
確かに、舞台上なんとなく4つの群があるように見えたが、よく分からず。
音楽自体は、いわゆる「ザ・現代音楽」という感じの、しゃらんしゃらんした音響が美しかった(なんという酷い形容・・・・・・)。
吊られた大きな薄い膜のようなものをべこんべこん揺らして、風やざわめきのような音を出していたり、酒瓶に水を入れて楽器代わりにしていたり、素人にはその辺の見た目も面白かった。
「声による夜の書」はフルート協奏曲の形を取っているが、これまたなかなか難解。
それぞれのパートに「深淵の谷で」、「恐ろしい怪物の口」、「マリオ・カローリと王の虹色の輝き」とタイトルが冠されていたが、それを表しているようでもあり、いないようでもあり。
フルート独奏のマリオ・カローリはかなり上背があったが、演奏は繊細だった。
「電話の考古学」はパンフレットにもあったが、名前からして社会風刺的。
各楽器が電話や通信の音を模している件り(オーボエとファゴットの重音が電話が不通の時のツーツー音に聞こえたり、ピアノがまんまノキアの着メロを演奏していたり)もあり、具体音楽風でもあった。
聴きながら、ペペの「クイズ番組のTVCMの悪夢」のことが脳裏をよぎった。
そして、最後に「海の音調への練習曲」。
先にも引いたように、カウンターテナー、フルート四重奏、サクソフォン四重奏、パーカッション、100本のフルート、100本のサクソフォンというとんでもない編成(それにしても、サックスもフルートも本当に100本あったのかしらん)。
上手からフルート100人、サックス四重奏、パーカス、フルート四重奏、サックス100人、カウンターテナーは指揮者の上手側隣という配置で、基本全員スタンディングでの演奏だった。
これだけ特殊な(素直にいえば相当変な)編成なので、全員が舞台に並んで音を出した瞬間に「出オチ」感が満載になるかと思いきや(それを期待していた部分もあるのだが)、これが意外にそうならない。
フルート・サックス各100人には、ごくごく小さい音を連続して出させたり、息を吹き込まずキーをぱたぱたさせる音だけを出させたり、口をあてる部分だけで息を入れさせたり(フルートのみ)、もちろん全員で音を出させたり、さまざまな強弱や音色を出すよう要求していて、数の多さという特異性が、音楽的効果を上回らないよう巧妙に作られている感じがした。
各100人はあくまで四重奏、パーカス、カウンターテナーによる蠢きを援護射撃している、あるいは背景や風景として機能しているようで、よくここまで「出オチ」感を掻き消し、音楽的抑制を保ったなと感心し通しだった。
本人がパンフの中で「演奏者の人数からすると壮大なスペクタクルに見えるが、それは音楽が始まるとともに二次的な要素となる」と記しているのは、まさにこういうことだったのだと妙に納得した。
「電話の考古学」がタイトルからして少し具象味を帯びていて、言語で何らか説明ができそうな作品であるのに対し、それ以外は、特に「海の音調への練習曲」は、舞台上にあるそのままの音楽、生の音楽、純粋音楽としてのみ楽しむことを要請しているように感じられた。
美しい、と一言いってしまえばそれで終わりなのだが、そこに留まらない質感が確かに舞台上にはあった。
できうることならば、あの舞台上をずっと眺め、そこで奏でられる音楽をずっと全身で浴び、その質感をずっと意識していたかった。
現代音楽を聴く愉しみは、こういうところにあるんじゃないか、と思わされた舞台だった。

# by ukiyobiyori | 2012-01-21 00:30 | 音楽 | Comments(0)

初芝居この世の外に遊びけり

■壽 初春大歌舞伎・昼、夜の部@新橋演舞場(1/5)
今年の芝居初めは新橋演舞場での昼夜通し。
正月たっぷり休んだからか、華やかな演目が並んだからか、かなり集中して楽しく見ることができた。
タイトルに掲げた句は、筋書の中にあった高浜虚子の姪、今井つる女の作品。
思う存分楽しんだ初芝居の感想を、まったく代弁している気がしたので引用させてもらった。
以下、簡単に感想をば。
昼の部は「相生獅子」、「金閣寺」、「加賀鳶」。
「相生獅子」は色んな獅子物の中でも最も古い形態の作品なのだとか。
魁春と芝雀が2人の姫として勤めた。
30分ほどの演目だが、前シテ、後シテがあり、後シテでは獅子姿になった2人の毛振りもあった。
芝雀はちゃんと振れていたが、魁春は見るも無惨な毛振りで少々残念。
全体としては華やかな幕開け、という風情だった。
続く「金閣寺」は、三津五郎の大膳、梅玉の東吉、菊之助の雪姫、錦之助の軍平、東蔵の慶寿院、歌六の直信など。
前に芝雀の雪姫で見た時は、桜の花びらを使って鼠を描く件りが人形振りで演じられていたが、今回はそうではないやり方だった。
あと、前は尋常じゃない量の花びらが降り続いていたと記憶しているが、今回はあっさりめの量だったように感じた。
大膳と東吉が碁を打つ件りは、3階席から見ると2人ともちゃんと打っているように見えた。
あれは本当に打っているのか(アドリブとかも含めて)、それとも適当にやっているだけなのか気になる。
大膳が井戸に落とした碁笥を手を使わずに取り上げる件りは、東吉の見せ場。
先月の浅野内匠頭に続き造形がちょっと薄めな気もしたが、碁盤を持って決まるところでは自然と拍手していた。
その後、雪姫の見せ場になるが、その前段で大膳が太刀を見せる時に滝に現れる龍はちょっとショボ過ぎじゃないか。
せっかく辰年なんだから、もうちょっと立派な龍を使っても良かったように思った。
舞台に一人だけになった雪姫の姿を見ながら、先月も感じた菊之助の安定感というか、ブレなさを改めて実感。
若手の中ではピカイチだという評価には誰も異論あるまい。
終盤、東吉が慶寿院を助けるために桜の木に登るが、梅玉は夜の部の「め組の喧嘩」でも最後に梯子を使うアクロバティックな場面があり、新年早々肉体労働ばかりご苦労さまと労いたくなった。
最後、大膳が三段に乗って全員が絵面になると、長い一幕を見切った充実感にたっぷり浸れる。
三津五郎の大膳は国崩しの大きさも十分ありながら、碁に興じたり、雪姫を我がものにしようとする稚気みたいなものも感じられ、巧いの一言。
筋書で、東蔵が慶寿院を演じるコツとして「出たとこ勝負」を挙げていたのが面白かった。
こちらも2度目の「加賀鳶」。
まだ見始めの頃に初めて見た時はさほど面白いとも思わなかったが、今回は菊五郎と吉右衛門の丁々発止のやりとり(特に三幕目)に大変興奮した。
序幕は、加賀鳶が花道に勢揃いしたツラネが見所。
残念ながら3階席からは最初の3人くらいしか見えないのだが、雰囲気は十分感じられた。
この粋でいなせな江戸っ子全開の件りがあってから、鳶頭だった菊五郎が悪者の道玄に変わるのだから芝居は面白い。
三幕目の質見世の場が最大の見せ場で、道玄とお兼(時蔵)が威勢良く店を強請りに行くのだが、そこに証拠を持った鳶の松蔵(吉右衛門)が現れて、道玄は一気に形勢不利になる。
ここまでの一連の菊五郎と吉右衛門のやりとり、さらには店の者やお兼とのやりとりがまあ見事。
吉右衛門はここずっと、存在感は十分にも関わらず台詞が詰まることで若干芝居の流れに予期せぬ違和感を生じさせることが多かったが、今回はそれが一切なく、流れるように菊五郎と対決していたのが本当に心地良かった。
対する菊五郎も、道玄のどこか憎めない茶目っ気みたいな雰囲気を十分出していて流石。
大詰では、悪事がばれた道玄の逃亡劇が世話だんまりとして描かれるのだが、一番最後に道玄が捕まるところはちょっと間が悪かったのでは。
散々だんまりを見せておいて、意外にあっさり捕まって幕、という流れだったので、もう少しやり様があったのではと思ってしまった。
それでも、いわゆる「テッパン」というのはこういう舞台のことを言うのだなと心地良く実感した(これは夜の部の「め組の喧嘩」にも言える訳だが)。
夜の部は「矢の根」、「連獅子」、「め組の喧嘩」。
「矢の根」は正月に相応しい儀式的な一幕。
初見だったが、舞台全体から溢れる雰囲気もそうだし、五郎のお節料理のツラネもそうだし、すべてがお目出度い雰囲気で、芝居を見たというより、寺社にお参りした時のような気分に自然とさせられた。
三津五郎の五郎は、前髪の子供っぽさまできちんと醸し出していて流石だった。
続く「連獅子」は、富十郎一周忌追善と銘打ち、鷹之資とその後ろ盾を務めることになった吉右衛門が共演。
衝撃を受けた新年早々の富十郎の訃報から、早くも1年が経ったのだと実感させられた。
2人の踊りの巧拙は分からないが、早くに父を失った鷹之資の心境、同様に早くに父(養父)を失った吉右衛門の心境、亡き父の思いに応えようと必死に踊る鷹之資の姿、そんな姿を後ろ盾として見守ることを決意した吉右衛門の姿・・・・・・そうした色んな2人の思い、そしてそれを見守る自身も含めた観客の思いが、2人の踊る姿に仮託されているようで、見ていて胸がいっぱいになった。
かねてから膝の痛みが演技に影響していた吉右衛門が、それでもこうした舞踊を踊ることにしたのは、「鷹之資を一人前の天王寺屋にしたい」という思いがあったからではないか。
そんな姿を見ていると、芸とか、その巧拙とか、舞台の出来・不出来とかそんな次元を超越して、「思い」とか「魂」とかそういう「生」なものが観客に語りかけてきているような感じがしてならなかった。
昨年6月に見た仁左衛門と千之助との「連獅子」とはまた違った気分での観劇となった。
切りは、これまた初見の「め組の喧嘩」。
何のことはない、遊郭で、宮地芝居小屋で、最後には神明社境内でただひたすら鳶と相撲取りが喧嘩するだけの、いかにも江戸っ子な芝居。
三幕目で、辰五郎(菊五郎)がうじうじしているのを、お仲(時蔵)らが焚き付けて喧嘩に行かせようとする件りなんか、みんなそんなに命を粗末にしちゃいかんよ、などと現代人は思ってしまった。
だが、いざ相撲小屋に押しかけようと鳶が勢揃いして水盃を交わす件りになると、参加してもいないのにこちらまでだんだん興奮してくるから面白い。
色んな喧嘩の場面があり、最後は喜三郎(梅玉)が両者を管轄する奉行所の羽織を着て、しかも梯子から吊り下がって仲裁に入るのだが(梅玉のアクロバット第2弾!)、両者とも死を覚悟して決闘に臨んだ割りに、あっさり御上の言うことに従って喧嘩を収めてしまったのは少し釈然としなかった。
これも「加賀鳶」同様、尻切れ感のある幕引き。
「金閣寺」のように絵面になっての幕引きの方が、断然見終わった感があって良い。
出演者が多すぎて一々書ききれないが、過不足なく適材適所に役者が配されていて、「江戸の芝居」をたっぷり堪能できた。
一人だけ挙げるなら、團蔵の亀右衛門が本当に格好良かった。
三幕目で辰五郎の本心を知り、纏を持って皆の元へ駆け付ける件りの格好良さったら同性ですら惚れ惚れするくらい。
筋書で、菊五郎劇団育ちの萬次郎が「め組の喧嘩が出ると劇団の全員がわくわくした気分で一つになり、まるでお祭り騒ぎでした」と述懐している、まさにその「お祭り騒ぎ」の雰囲気を存分に楽しむことができた。
新年早々、最高の芝居初めができた気分だ。

# by ukiyobiyori | 2012-01-13 03:31 | 歌舞伎 | Comments(0)

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